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人生に迷う君へ、情熱とアホとポジティブを。

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人はなぜ生きるのか?何のために生まれてきたのか?生きる意味についての話をしよう。

人生論

ダイナです。

 

人は誰かに何かを「与える」ために生きている。

 

僕が20数年生きてきた中で辿り着いた思考です。

では、それは具体的にどういうことなのか?

 

今回は、人が生きる意味について。

ダイナ理論を紹介します。

前提 誰もが幸せを望んでいる

人の全ての思考・行動の根幹には幸福追求がある。

その前提からこの理論は出発します。 

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人が最も幸せを感じるのは人間関係における幸せ

では、人はどうすれば幸せになれるのか?

一言で表すなら「欲求を満たした時」です。

 

人間の欲求と言えば。

まず思い浮かべるのが三大欲求(食欲・性欲・睡眠欲)です。

 

美味しいものを食べた時。

愛する人とセックスしている時。

ぐっすりと質の良い睡眠をとった時。

 

これら三大欲求を満たすことで人は幸せを実感します。

 

でも、それが全てではない。

なぜなら、三大欲求を満たした時に感じる幸せは一時的なものに過ぎないからです。

 

例えば、美味しいものを食べた時。

その時に感じる幸せは、次の日には何処かへ飛んで行ってしまいます。

さて今日は何を食べよう。と。

 

三大欲求よりももっと深く、根源的なところで人間が持っている欲求。

 

それが「人間関係における欲求」だと僕は考えます。

 

人と一緒にいたい。

人を愛し、愛されたい。

 

人間関係におけるこれらの欲求を満たすことで、人はより深く、より持続的に幸せを感じることができます。

 

それは、僕ら人間が生きていくために発達してきた、人間だからこそ持っている欲求であるといえます。

 

人は元来、最も弱い動物だった。

一人の力では、厳しい自然環境の中での生存競争に勝ち残っていくことができなかった。

だから人は集団を作り、社会を形成し、文明を築き上げた。

 

自分一人しか存在しない世界を想像してみてください。

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その世界には、幸せはあるのでしょうか。

どんな喜びも、悲しみも、しいては全ての感情が存在しないかもしれません。

 

人と一緒にいたい。

人と繋がっていたい。

 

人間関係におけるこれらの欲求を満たすこと。

それによって人は本当の意味で幸せになれるんです。

 

人間関係における幸せは人に「与える」か「与えられる」かのどちらか

では、人間関係において幸せを感じるのはどういう時か?

それは人に「与える」か「与えられる」かのどちらかしかありません。

具体例を挙げます。

 

人に「与える」こと

人を愛する

人を楽しませる

人を喜ばせる

人を安心させる

 

人に「与えられる」こと

人に愛される

人に注目される

人に褒められる

人に感謝される

 

人に「与える」ことでも、「与えられる」ことでも人は幸せを感じることができます。

ここで大切なのは、人に「与える」ことにフォーカスして生きることが理想的な生き方であるということです。

 

人に「与えられる」ことにフォーカスして生きるということは、他人の人生を歩んでしまう危険性があるからです。

人に注目されたい。目立ちたい。

人に愛されたい。好かれたい。

人に凄いと思われたい。

これらの欲求を「承認欲求」といいます。

承認欲求は人が行動する際のモチベーションになります。

しかし、それだけに囚われて生きていると、自分を見失うことになります。

 

その人が生きているのは、他人の人生に他ならない。

「承認欲求」の主体は他人あり、そこに自らの意志が存在しないからです。

 

親から褒められるため、社会から認められるため。

医者になった。弁護士になった。

でも、何か違う。

これは自分のやりたいことじゃなかった。

 

このように、多くの人は人に「与えられる」ことにフォーカスして生きています。

それは、人が成長していく過程に要因があります。

 

生まれた時。

赤ん坊は決して一人の力では生きていけません。

親から愛され、守られることでしか生きていけません。

だから、「与えられる」ために行動します。

赤ん坊が泣くこと、無邪気な笑顔を見せること。

それらは全て愛されるため、しいては生きていくため。

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人から注目されたい。

人から好かれたい。

それだけを目的に生きていくということは赤ん坊のまま生きていくということです。

 

人は、人生のどこかで人に「与えられる」生き方から「与える」生き方にシフトする必要があるんです。

 

それこそが「自立」です。

 

人に「与える」ことで幸せを実感している状態。

それが、人としてのあるべき姿です。

 

人に「与える」その手段にこそ個性が出る

では人に「与える」とはどういうことか。

それは人に幸せを与えるということです。

楽しみ、喜び、安心、驚き、尊敬etc.

これらの感情を与え、与えらることで人は幸せを実感します。

 

では、モノをあげるとういう行為はどうなるのか?

例えば、親しい友人に誕生日プレゼントをあげるという行為。

 

それは、モノをあげることによって喜びや感謝という感情を与えているんです。

すなわち、幸せを与えている。

モノををあげるということは「与え方」の一つの手段であって目的ではありません。

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人に与えられるもの自体は限られています。

(楽しみ、喜び、安心、驚き、尊敬etc.)

だけど、人に与えるその手段は無数に存在している。

その手段にこそ個性が出る。

これが僕の答えです。

 

承認欲求に囚われず、自分だからこそできる手段で人に幸せを与える生き方をすること。

それが人として生まれた究極の意味。

 

例えば。

絵を描くのが好きなら

絵によって人を感動させることで人を幸せにすればいい。

僕のように。

人を応援するのが好きなら

言葉や情熱によって人の迷いを解くことで人を幸せにすればいい。

 

人に幸せを与える手段自体に幸せを見出していればいい。

 

その「手段」を見つけるために。

 

自分が何にワクワクするのか?

どういう時に夢中になれるのか?

どういう時に情熱が湧きあがるのか?

 

自分の人生を振り返ってみてください。

きっと答えがあります。

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人は誰かに「何か」を与えるために生きている。

「与えられる」生き方から「与える」生き方へ、本当の意味で自立すること。

人に幸せを与える、自分だからこそできる手段を見つけること。

その手段によって人を幸せにする過程自体に幸せを見出すこと。

 

それが、人が生まれてきた究極の意味。

 

僕のこの思想は、心理学の巨匠といわれているアドラーの影響を大きく受けています。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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自分だからこそできる手段で人を幸せにしよう。

そうすれば自ずと道は開ける。

 

人生まあいけるやろ。

 

 

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